経営と人生。

「経営独言」用に書き溜めてきたものは先月で尽きました。今月からの原稿は既に用意してあったのですが、書き溜めてきたものが尽きたのを節目に、これまでの経営者人生を踏まえ、これから迎えるリタイア後の余生について考えてみようと思い直したのです。端的にいえば、残された時間の使い方は、今までのそれと同じように考えていいものかどうかという自問自答でした。そうしたら、そこに見えてきたものは自分でもちょっと意外でした。というわけで、こんなことを書いた次第です。

経営は集団の目指すべき方向を定め、パワーを最大にして行動する、そのためには、「目標と手段」が欠かせません。そんなことを40年近くやってきましたが、仲間は既にリタイアし多くの友は悠々自適な毎日を送っています。そろそろ自分もその仲間入りをさせてもらえるかなと思い始め、さてこれからの我が「人生の目標」は何か、と考え始めたのです。とそこで、あることが頭をよぎりました。確か30代だったと思います。「人生の目標は若い頃から立てるべきだ」、ということを誰かがどこかで書いていました。曰、「何歳までに家を建てる」、「何歳までにいくらいくらの貯金をする」と言った例を挙げて目標を立てる重要性を述べていたのです。実は、これを読んだ瞬間に違和感を抱いたのを覚えています。家や車などのモノを手に入れることを人生の目標にするのはおかしい。何故ならそれを手に入れた瞬間に目標がなくなってしまうではないか、と思ったら著者も考えていて、それが手に入りそうになったら次の目標を立てればいい、と書いてあったのです。しかしながら、その次の目標も同様に、海外にマンションを持つ、別荘あるいはヨットを持つ、といったお金で手に入る話ばかりでした。それはすなわち、家であろうが車、ヨット、海外のマンションであろうが、全てお金があれば叶う話しなのです。それは、すなわち人生の目標を持ちなさい、と言いながらお金を増やしないと言っているに等しいのです。なんだ、頑張って少しでもお金を手に入れることが尊い人生を送ることになる、と言っているのか、なんと低次元の話だ、と思いました。もちろんお金はないよりあったほうが安心ですが、ありすぎるのは良くない。何故なら少し増えたらもっと欲しいと思ってしまうからです。その思いが全てに優先してくると人生はすべてがお金だ、となってしまいます。お金のある人を羨ましく思い、お金がない自分を惨めに思ってしまう、なんと馬鹿げた話しでしょう。「足るを知る」精神を身に付ければ、心は卑しくなりません。お金ではなく、もっと尊いもの、を身に付けていくべきではないでしょうか。

ちょっと話がそれました。そう「人生の目標」です。私が見つけた結論は、“大事なのはどこに到達するかではなく、どのように生きるか、というプロセスのほうがより尊い”、ということです。すなわち、「人生」は目標を立てるのではなく、「生き方、姿勢、スローガン」を持つ、といった言い方のほうが適切だと思うのです。私は若い頃から、「死ぬまで成長したい」、と言い続けてきました。それは、まさに「生き方、姿勢、スローガン」そのものです。それでは、私にとって成長とは何か、これはだいぶ前に自分なりに定義しましたが、人間は3つの要素からなりたっています。それらは、「身体的、能力的、精神的な要素」です。それぞれの要素が成長の対象です。身体的要素は言わずもがなですが、能力的な部分は、脳力と言い換えられます。脳力の及ぶところは数え切れませが、それくらい脳の力を発揮できる分野がありそれらを鍛える、ということです。最後の精神的な部分は、スポーツにも対人関係能力にもこの精神的な要素がものを言います。自分の子供っぽいところを理性でコントロールできるように精神力を鍛える、とこれは自分自身のことを言っているのですが。内省をして、変えたいと思っていた部分をこの際、本気で変える努力をする、などです。これら3つの要素を鍛えることによって、私たちは成長します。そろそろ引退を考えていた私としては、あらためて「生き方、姿勢、スローガン」を思い起こし、人間の持つ3要素に分割し、それぞれに対してあらためて具体的に行動していくことが、これからの人生の歩み方である、と確認した次第です。ちなみに私にとっての「身体的な話」をちょっとさせていただくと、今年70歳になりますが、今、再び累計何回か覚えていませんがゴルフのスウィングを改造中です。どうすればいいのか分かりながら、それが出来ない自分がとてももどかしいのです。なので、なんとしてでも改造しようと思っています。それによって、もう少し納得できるゴルフが出来るのではないかと自分に期待している次第です。能力、精神力についても具体化してありますが、ちょっと気恥ずかしいのでここでは控えさせていただきます。とまれ整理できて、すっきりしました。