社長は孤独?

世の中の全ての社長が“孤独”かと言えば、もちろんそんなことはないでしょう。私自分がそれほど孤独とは思っていなかったので、“そうではない”と言い切ってしまいましたが、これだけ諺じみた言い方があるので、あらためて考えてみました。
“孤独”とは、ひとりぽっちということなので、具体的にこの状況を描いてみました。
役員会でのこと。意見と言えば、ぽつりぽつり。それも、“君はどうだ”と聞かないと出てこない。さて結論を出そうとすると、既に雰囲気は“社長一任”。
部下からの報告は待てど暮らせど、“ない”。我慢出来なくなって、“あの件はどうなった?”と聞くと、重い口を開く。聞いていて気になったので、それはどのようにフォローしたのかと聞くと、“それは、社長に報告をしてからご指示に従おうかと思っていました”、とヌカス。この時点の報告ではタイムリーなアクションは既に手遅れ。イライラして怒ったが、いつもの見飽きた表情で“申し訳ありません”。何度言ったら変わるのか、呆れながらも、半分慣らされてしまっている自分に気付く。
社長は頑張っている“つもり”でも、社員は思うように動いてくれない。もしかしたら自分が見えないところで、“舌”でも出しているのではないかと思わず疑ってしまう。やることなすこと空回り。暖簾に腕押し。このような状況こそが、社長に孤独感と焦燥感を与えるのだろう。しかし、冷静に今までの状況を分析してみると、問題の根源は社長にある。
“孤独”は待ちの姿勢から生まれる。知りたければ遠慮せず聞けばいいし、社長の意図が通じなければ、通じるような様々なアクションを取ればいい話である。社長然と構えているから“孤独”になる、これが結論である。
ということで、上記の社長は勿論、私ではない、というのを強調しておきたい。さらに言えば、社長の椅子はとっくに譲ってしまい、今は会長である。「会長は孤独」という諺が出来たら、また、その対抗論でも書いて見ようか。しかし、「相談されない相談役」とこぼしていた父が思い出される。自分が相談役になったら、あれこれうるさく聞き廻る「聞き回り役」という肩書きに変えようと考えている。
飛び出せば 孤独の虫は 消え失せる