生かされている

 人は年齢とともに傲慢、不遜になる傾向があるようだ。社会的動物だと言われながら、自分本位に振舞っている輩を目にする毎に、怒りと情けなさを感じてしまう。こんな事は、多くの常識人が書いているので、これ以上言及するつもりはない。
さて、この「生かされている」ということに戻ろう。概して、私はこの受身が好きではない。言われたことをする、誰かが決めてくれるだろう、何食べるーなんでもいい、どこに行くーどこでもいい。これら他人任せ(他人の意思を尊重しているのではなく、単に自分の意志がない、ということ。)は自分にとって無縁である。それでは、あなたは「生きているのか」と問われたら、「生きようと思ってはいるけど、実は生かされている」と答えるだろう。
一所懸命頑張れるのも、それを認めてくれる他人がいるからだと思う。いや自分は人から認められたいがために、頑張っているのではない、と言う人もいるかもしれない。それでは、想像してみて欲しい。地球規模の核戦争が起きて、自分だけが生き残ったとしよう。あることに懸命に努力をしたとしても、それを認めてくれる人もいない、一緒に笑ってくれる人もいなければ、悲しんでくれる人もいない。そんな状況であなたは、生きがいを持って生きていけますか。
どう生きるかは、自分で考えることだが、生きる喜びを与えてくれる、それは、自分以外の人だ、と言うことを改めて確認したい。