新発見

先日、昭和36年(1961年)に発行された欧文印刷の社内報を見つけました。巻頭言は勿論、創業者である父です。そのタイトルが「愚かなる考えもまた楽し」。何気なく読んでいくと、そこには実に興味深いことが書いてありました。なんと、「思考は生活の一部」と言っているのです。実は私も2,3年前から、もし趣味はと問われたら、はばかりもなく「考えるコト」です、と言っているからです。
父は1999年12月に亡くなりました。それから丸10年たった今、父と自分の距離感がこんなに近く感じることになるとは想像も出来ませんでした。61才の私は盛んに書いていますし、語っています。それは伝えたい一心からです。
父とはよくぶつかりました。良くあること、と言ってしまえばそれまでですが、お互いに辛いことでした。(父は知人によくこぼしていたそうです。生意気な倅で参った、と。)今思えば、これは大事だと思ったら、もっと諦めずに語って欲しかったし、書き留めておいて欲しかった。そうであったら、もっとわかり合えたと思うからです。
今盛んに書いたり、語ったりしているのは、父がそうしてくれなかったという無念さからではありません。書けなくなったり、語れなくなったり、はたまたあちらの世界に行ってしまっても、いつか、誰かが自分が書いたものを見つけ、そうかそうだったのか、と一人でも知って、多少なりとも役に立てるなら、こんな嬉しいことはないと思うからです。
父は大正10年12月7日に生まれ、10年前の12月30日に死去しました。祥月にちなんでまとめて見ました。
“今ならば わかりあえそう お互いに”