人間の多様性について -その1

 このテーマは、あまりにも遠大過ぎて、1回では語りきれないので、とりあえず「その1」にしました。
そもそも、このテーマについて考えるようになったきっかけは、人の評価からです。つい先日、「今まで高く評価していたのに、突然、手のひらを返したような評価をするのは如何なものか」、と役員から小生は批判を浴びました。振り返ってみれば、実は、過去にもこのような形で、批判を浴びたことが何度かありました。その時点では、うまく説明ができなかったのですが、何故、評価が変わったのかという理由が徐々に分かってきました。
それは、今までと違う側面を見たからです。例えば、同じ仕事をしている時と、全く違う仕事をやらせた時とでは、往々にして、今までに見えなかった一面が見えてきますが、それも間違いなくその人、そのものなのです。
人は大きくその環境が変わると、人が違ってきてしまうものなのかもしれません。実際、カジノで10億円当たったとしたら、あなたは、仕事を辞めて、一生遊んで暮らしますか。
あるいは、あなたが事業で破産をして10億円の借金を背負い込んだら、どうしますか。
ちょっと極端ですが、このように、究極の状態に追い込まれると、誰でも自然に本質が出てくるのではないでしょうか。
すなわち、こんな究極を例にしなくても、うまくいっている時に見えている状態と、うまくいかずにもがいている時に見せているものが、やはり違うのです。
でも、今のような世の中では、一変して良くなったり、悪くなったりするものです。そういう意味では、リーダーとしてどんな人間がふさわしいかというと「一喜一憂せずに、人間として求めるものを見失わず、本質をつかもうとしている人」ではないでしょうか。
態度で言えば、「失意泰然、得意淡然」というところでしょう。
ちなみに、上記の2例、カジノと破産の状況を自分に当てはめてみると、以下のようになります。
カジノの場合は、仕事は今までと変わらず継続する。遊ぶのは、せいぜい1ヶ月で十分。遊んでいたのでは、人生の充実感は得られないから。破産のケースは、一生を懸けて返済し続ける、これしかないでしょう。