「私の履歴書」ハワイ編 その3

講談社さんから販売目標額を聞いていたかどうかも覚えていませんが、終わってみれば、彼らの目標額の2倍になったそうです。従って、出版されたものを見たら初めの企画とは違って、ハワイの広告が地図と合体した別冊になっていたのを覚えています。とまれ、これが契機になってその後、毎日新聞さんからもムックの話をいただきました。その次はジャルパックさんのクーポンブックに掲載する契約を受注する営業です。これも、クーポンブックという媒体の販売ですから、似たようなものです。このように広告販売先のルート開拓も出来ました。「アド・コンセプト」はこのような広告スペースの販売もする会社なんだ、という知名度も上がったかと思います。なにしろ競合は出てこなかったからです。
それからしばらくして、日本で親しくしていたある広告代理店の方から連絡があり、香港観光局に勤務経験のある面白い人がいるので紹介したい、と言うのです。面白い人にはいつでも会いたいと思っておりますので(今でも)、二つ返事で是非、とお願いしたら、間髪をおかずに会えたと記憶しています。会ってみると、一言で言えば、アイデアマンでした。そして、私同様、新しいことが好きな方でした。彼と様々な話をしました。その中で、「アロハストリート」の原型の話になったのです。
多分、当時の日本人を馬鹿にした触るだけで汚れ、新しい情報もないフリーペイパーが許せない。出来るものなら自分たちで作りたい。幸い、印刷機もあるし他に依存することもなく出来るのでリスクも少ない。広告の販売先は既に開拓してある。企画も彼を中心に出来るし、感性の高い日本人グラフィックデザイナーとも巡り会えた。もうこれはやるしかない、ということになり、自分たちだけが盛り上がり、完成見本が出来上がってしまったのです。こうなったら、本社を説得してやるしかない、ということに相成ったわけです。しかし、この企画が日本の役員会でいとも簡単に一笑に伏されたのは以前、書いた通りです。この先の話は、アロハストリート発刊の背景の中で記しましたので、これ以上言及しません。
広告がらみの話はこのくらいにしてオーブンハワイという印刷会社の話をして行きましょう。社員構成は、印刷をするプレスマン2名、経理兼何でも屋の品のいい60代の日系人女性一人、そして社長兼営業の日系人の中に5人目として入社しました。英語の必要性は問われなかったものの、受注したものを現場のプレスマン(印刷工)に指示を出すのは英語です。それはそれはとても簡単な指示なので、そこで戸惑うと言うことはありませんでしたが、一番参ったのは時間感覚です。私が印刷指示書に納品日だけでなく、時間を記入したら、それを見るやいなや今でも思い出しますが、”にんまり”しながらその指示書を放り投げたのです。唖然としました。彼も納品時間まで指示されたのを見て唖然としたのでしょうが、何も捨てなくてもいいだろうと腹を立てたのを覚えています。
”受注した 仕事の指示書 投げ捨てに”