「私の履歴書」ハワイ編 その1

日経新聞から私に「私の履歴書」を書いて欲しい、という依頼は間違ってもこないと思うので、それではということで、勝手に「私の履歴書」ハワイ編をまとめて見ます。お時間があったらお読みください。(この厚顔無恥なところが私らしいところです。)
27歳の時(1976年)に突然ハワイ赴任を命じられました。目的はハワイに進出している日本企業からの印刷受注です。従って、英語の準備は全くせず、また、その必要性すら感じないまま赴任しました。それでもジェット機が滑走路から離れるとき、思わず目頭が熱くなったのを今でも覚えています。新婚旅行でしか知らないハワイの地で、新規開拓を命じられたが本当に出来るのか、という不安がこみ上げたからです。
オーブンハワイはその時、創業6年目。創業時はハワイの現地法人と折半出資でしたが、確か創業4年目か5年目に欧文印刷の100%子会社になりました。(10年以上前に社員に売却し、その後また売却されました。いずれにしても現在、欧文印刷はオーブンハワイとは資本関係がありません。)しかし、工場と言っても元金融会社の後を借りたため、毛足の長い絨毯が敷き詰めたところに小さな小さな軽印刷機2台と、断裁機と折り機が鎮座していました。現地採用のローカルの印刷工が二人、総務・経理兼電話番のおばあちゃん、社長兼営業の日系人の男性に加えて私が5人目の社員で、年間売上が確か23,4万ドルだったと記憶しています。勿論、赤字会社でした。その会社が5年目には100万ドルになりやっと黒字になってほっとしたのを覚えています。そこまで赤字を許してくれたのは、本社がその赤字に対して十分持ちこたえられる財務状況だったからこそです。それもずっと後からになって知りました。
赴任2年目に広告代理業を始めました。たまたま7社コンペのプレゼンテーションに勝ったのです。それは単一レストランではハワイ最大(収容人数は確か380人くらいでした)のロブスターで有名なレストランでした。何故そもそも、印刷会社がこのコンペに呼ばれたのか、今でもその理由は分かりません。勿論、本社を見渡してみても、広告代理店業の経験者はおりませんでした。しかし、目を子会社に転じてみると、なんとハワイでの在住経験があり、世界最大の広告代理店の日本支社勤務の経験を持つ、日本語ぺらぺらの白人が社員としていたのです。
彼に4泊6日でハワイに来てもらい、あっという間に企画書を書き上げ、それが見事選ばれたのです。私は営業兼日本語のコピーライター。扱うメディアはテレビ、ラジオ、新聞、雑誌です。何故かメディアの世界は白人が牛耳っていたのが鮮明に記憶に残っています。制作する広告の言語も英語と日本語でした。この広告代理業をどう位置づけするか考えた結果、広告代理部門として「アド・コンセプト」の名称で、メディアに登録しました。
「立ち上げた 新規ビジネス こりゃ蛮勇」